燕岳の思い出

8月19日午後10時35分 準急「穂高」は快い汽笛の音を残し、新宿駅のプラットホームをゆっくりすべり出し
だ。あたりは暗くネオンサインだけが輝いていた。

車内は我々と同じ登山者で一杯、談笑するもの、目隠しをして寝るもの、地図を広げてもう心は山に行って
いる者、種々多様である。 立川を過ぎる頃から列車はぐんぐんスピードを上げた。
車内の登山者は、もうほとんど寝ていて話をしている者はいない。駅に着くたびに目が開いてよく眠れない。
大月、甲府、小淵沢、塩尻ともう乗り飽きる頃ようやく、夜明けの松本駅に着いた。

新宿駅より6時間10分、4時45分であった。 列車がホームに滑り込むと同時に大小のザックを背負った登
山者が降りる。 静まり返っていたホームが急に活気を帯びてきた。
大糸線の発車時刻まで大分あるので名物信州そばに舌鼓を打つ。 5時17分発の準急「第二白馬」で有明
駅へ。 駅前よりバスで中房温泉へ向かう。 鐘の鳴る丘で有名になったという有明高原寮を過ぎると道は
山道になった。 道は細く右に左にくねり断崖絶壁を走る。そのうえデコボコ道でスリル満点だった。
1時間30分程で終点中房温泉に着いた。 装備点検後、登山者カードに記入、登山道に入る。
登り初めから急な登りだったが30分位で水場に出た。水の補給後なおも登ると山道は一層険しくなって来
た。もうここで終わりですとばかりにアゴを出して寝そべっている人が途中に数人いた。

急登につぐ急登3時間余りで合戦小屋に着いた。思わずホットする。ここで昼食、こういうきついのぼりの後
で食べる食事も又うまいものだ。 昼食後また登りにかかる。 ハイマツと高山植物の歓迎を受けてなおも
登ると合戦三角点に着いた。「あ! 」思わず歓声があがる。急にあたりが明るくなったかと思うと、視界が開
け燕岳の純白の峰が見えた。あたり一面のハイマツと高山植物のお花畑もきれいだ。
しばらくゆるい登りを続けると今宵の宿泊地燕山荘の赤い屋根が見えてきた。最後の登りを登りきると
燕山荘の正面に出た。しかしあたりは霧が上がってきて何も見えない。小屋に入り宿泊の手続きをして
外に出ると燕岳の山頂がポッカリと顔を出した。緑のジュウタンを敷き詰めたようなハイマツと純白の花崗
岩の岩峰の乱立、それらを取り巻く花崗岩の砂地、まさに、この景観はこの世のものとは思えないほど美し
かった。まさに天上の一大庭園であり、一幅の絵としか思えなかった。決してこれは大げさでなく言葉では言
い現せない美しさである。 思わず息を呑んで見つめていた。
しかし、しばらくするとまた霧がかかってきた。いくら待っても晴れそうに無いので、仕方なく山頂に行くことに
した。花崗岩の岩の間の道を徐々に登り詰めて行く。頂上は近くに見えるのだがなかなか着かない。
純白の岩峰とハイマツの間を縫って40分程で山頂に着いた。 2,763メートルの山頂は霧が深く何も見えな
かった。仕方が無いので三角点だけ踏んで山荘に戻った。12時30分だった。
2時間位たつと霧が晴れてきたので、また山頂に向かった。しかし山頂に着くとまた霧が出できた。

全く山の天気は変わりやすい。 谷から吹き上げてくる風がいささか身にしみた。しかし最初に来たときより
少しばかり近くの山々が望めたので良かった。 30分程の下りで山荘に戻ったのが3時30分、展望も効かず
暇で弱った。小屋の窓から夕陽を見ていたがしだいに雲に覆われてしまって小雨が降り出した。
6時頃夕食であった。小屋の食堂はにぎやかで、そしてこんな山の上にしてはデラックスな食事であった。
食事の後、絵葉書を見たり、バッチを見たり、記念スタンプを押したりしているうちに、あたりは暗くなってき
た。まだ時間的には早かったが起きていても仕方が無いので寝ることにした。

8月21日  朝起きたのは4時頃、今日は槍ヶ岳へ行く予定であったが台風17号接近とやらでオジャン残念!
5時 小屋の窓はカメラを構える人でいっぱい。下の広場も人がたくさん集まっていた。山を吹きぬける風は
肌を刺すように冷たくジャンパーを着ていても寒いくらいだった。いよいよ、お待ちかねのご来光だ。
空の雲の両端が水色に染まり、中央は真紅、その周りは橙色で、刻々色彩の変化があった。
遠くには浅間山の煙も見え、雲海の間からいく筋もの光が差した。キラキラ輝く宝石のような太陽が昇る。
あたりから思わずため息が漏れた。
朝食を終えてから小屋の裏手の高台に登った。思わず息をのんだ。白く朝日に輝く雪渓、茶色がかかった
岩壁と、その上に鋭く天をさす尖峰、全く素晴らしかった。北アルプスの盟主槍ヶ岳だった。
アルプスに来ている実感がヒシヒシと湧いて来る。左に穂高連峰、右手は裏銀座の山並み、立山、白馬
八ヶ岳、富士山、昨日の霧は嘘のようであった。 槍へ行きたいのであるけれども台風接近とあれば仕方
なかった。名残惜しいが山を降りた。途中何度も何度も振返り槍ヶ岳を見つめた。

下りに下って槍ヶ岳が見えなくなってくる頃に合戦小屋に着いた。 そこには面白いオジさんの一行がいた。
話を聞いてみると、なんでも、ある案内書に、麓の中房温泉の湯治客が下駄履きで燕岳に登ると書かれて
あったので、それを信用して来たのだそうだ。そのなかの一人いわく「オラなんか地下足袋履いて四つんば
いになって、やっとだ! 案内書のインチキめ! 」とか・・・。どうやら頂上にはたどり着けなかったそうだ。
その案内書のせいか知らないが、下りの途中にもたくさんのパーティにあったが、ほとんどは登山靴に
キスリングの人なのだが、ときたま変な格好で今にも倒れそうな顔をして登ってくる人がいたが、全く困った
ものだ。 3時間余りの下りで中房温泉に着いた。目を上に向けると北アルプスの山並みはもう見えなかっ
た。次のバスまで2時間30分もあったのでハイヤーで有明駅へ向かった。

駅より2両編成、手動ドアのオンボロ電車で松本へ。
松本市内、松本城.を見学して午後3時55分発の準急「白樺1号」で立川に向かった。
途中山また山を見てきた目に諏訪湖の水面が何故か新鮮でホットしたような気分になった。
甲府まで来ると台風の影響か外はドジャ降りだった。自宅近くの駅に降りたときは雨はやんでいたが
蒸し暑かった。家に着くとテレビは台風17号が伊豆半島に上陸するらしいと報じていた。



これは私が中学生の時に初めて北アルプスに行った時のようすを当時の山日記から紹介しました。
この頃はホームグランドの奥多摩の山ばかり登っていましたので、3000メートル級の山に登るなどと
言うのは夢みたいなものでした。不安と期待の入り混じった気持ちで行った北アルプス、今でも大糸線の
有明駅付近を通過するときには、あの頃の思い出が鮮明によみがえります。